【現代に将棋を学ぶ意味】
1、日本の伝統が詰まった競技
将棋は日本の伝統的な競技で、子供たちは将棋を通じて日本人らしさを学ぶことができます。まずは正座をして盤の前に座り、対局の準備が始まります。駒を盤上に広げるのは上位者の役割で、年長者か棋力の高い方がその役割を担います。駒を並べる時にも礼儀作法や手順が決まっていて、日本の伝統を垣間見ることができます。そして準備が整うと、挨拶をして対局が始まります。対局が始まると、お互いに声を出すことはなく、静寂の時間が流れていきます。対局の終わり方も日本的です。相手の王様を取って対局終了ではありません。相手が降参して、初めて対局が終るのです。これを投了と呼びますが、ここにも日本の美意識を強く感じることができます。さらに勝負を決した後に感想戦と呼ばれる対局の振り返りの時間があります。初手から最後までの1手1手を振り返って、お互いに1手の良し悪しについて議論をします。ここには悔しさよりも、お互いを尊重する敬意が溢れています。子供たちは将棋を通じて日本や日本人の素晴らしさを感じることができるでしょう。

2、人間同士のコミュニケーション
将棋は1人対1人の対局形式で、ルール違反を指摘する審判の存在はありません。二人だけの世界では嘘やごまかしは通用しません。誰の助けも得られません。自分が黙って待っていたら誰かが助けてくれることもありません。コミュニケーションの逃げ場が存在しないので、否が応でもコミュニケーション能力が鍛えられます。また言葉でお互いの理解を深めたり、スポーツのように身体やボールで意思疎通を図ることはありません。表情や身振り、仕草、雰囲気等を駆使することが求められます。この経験は子供たちのコミュニケーション能力を高めることにつながります。

3、異世代との交流を促す
将棋は肉体的な強さが必要ではないので、3歳から100歳まで同じ舞台で競い合うことができます。未就学児と中学生が対局することも将棋では自然にみられる光景です。しかしスポーツではそうはいきません。同じ小学生でも2学年違えば、大人と子供くらいの力の差があり、両者が勝負の楽しさや競い合うこと喜びを相互に感じることはできません。また将棋は、年齢だけでなく性別、国籍、宗教といった垣根が全くない競技です。自分とは異なる点を持つ人々と時間を共有することで様々な学びを得ることができるでしょう。昨今は少子化で兄弟の人数も減少傾向にあるので、異世代間の交流は益々貴重な時間となってくると思われます。

4、原始的でシンプルであること
将棋は画用紙が一枚あれば、駒と盤を作ってプレーできる極めてシンプルな競技です。このシンプルさが、将棋に無限な広がりを与えてくれます。駒を自作して、自分の好きな動物や恐竜、昆虫、電車、漫画の登場人物、ゲームのキャラクターに変えて楽しむことができます。駒の材質も紙や木だけでなく、金属や粘土、ブロック、土、砂、ガラス、プラスチックなどに変えることも自由です。盤は正式には正方形ですが、長方形や円形、立体にしても面白いでしょう。シンプルだからこそ自分流にアレンジすることができるのです。逆に小学生に大人気のゲームは完成度が高すぎます。現代のゲームは、大人が作り、大人も楽しめるものです。完成度が高すぎることで、逆に子供の創造力や工夫が入り込む余地を無くしていないでしょうか。ゲームの世界が楽しすぎて、それをリアルの社会で再現しても同じ楽しさを得ることはできず、益々ゲームの世界に没頭するようになります。普段から完成度の高い遊びに慣れてしまうと、原始的なお絵描きや、工作、粘土遊び、折り紙、読書等の遊びがつまらないものになってしまいます。現代の子供たちが、ゲームと対極にある原始的なシンプルな将棋から学ぶことは少なくないでしょう。

5、数学的思考力の育成
数学は少ない公式や定義を覚えて、それを生かして問題を解く科目です。理科や社会、英語と比べて、暗記すべき知識は圧倒的に少ないのが数学という科目の特徴であり、その限られた知識をいかに応用するかを問われていると考えられます。計算は得意でも、文章問題は苦手というの子供は多いと思いますが、それは知識の理解度が低いことが原因です。数学の文章問題というのは、日常生活の出来事を数字に置き換えられるかを問うています。将棋も同じで、座学で得た知識を実戦に生かせるかを問われている点が、数学によく似ているのです。将棋の本は多数ありますが、本にある通りの形が実戦に登場するわけではありません。また実戦で悩んだ場面が、そのままの同じ形が本に載っていることもありません。知識を深く理解することで、多少駒の配置が変わったとしても、実戦で活用できるのです。技術の名称だけ知っていもそれは実戦では使いこなせません。仲間が使っているのを見たり、自分がその技術でやられてみたり、言葉で説明してみたり、様々な経験と試行錯誤の多くの時間を労力を経て、理解を深めていくのです。将棋が得意な子供は、数学が得意な子供が多いように感じます。小学生で算数が苦手だった方は、中学生で将棋を初めてみてはいかがでしょうか。

6、遊びと勉強の中間にある競技性
将棋は楽しいものですが、時には難しいと感じたり、勉強のような苦しさを感じることもあります。これは将棋が遊びと勉強の中間に位置する競技であるという性質によるものです。成績の良い子の特徴は、勉強を勉強として考えずに、遊びと考えている点にあります。楽しいから勉強しているので苦しさはそこにはありません。だから継続できるのです。さらに勉強の楽しさとは何かを考えた時に、そのひとつに「できること」があります。「できるから楽しい」「できないとつまらない」という感覚です。だから最初がとても肝心で、最初でつまづくと楽しくなくなり成績はなかなか上がりません。だからこそ難しい勉強を始める前に、地頭を鍛えておく必要があるのです。そしてその方法は勉強をすることではく、遊びの中で地頭を作っておくのが近道です。考える力が育っていれば、最初から解ける問題のレベルを上げておくことができます。また多くの保護者が期待する「集中力の成長」も同じことが言えます。集中力を身に付けるために、勉強のような苦しいものを長時間続けることは辛いだけで、集中力は伸びません。反対に、遊びに近い競技で、子供が夢中に楽しめるものを長い時間続ければ、集中力は身に付き易くなります。子供には時間を忘れて何かに取り組む経験は欠かせません。それを遊びの中で小さい頃から練習しておくのがよいでしょう。紙工作をしたり、粘土細工をしたり、スポーツの練習をしたり、お絵描きをしたり、プラモデルをつくったりと、内容はどんなものでも構わないのです。時間を忘れて没頭した経験が大切です。それがいざ勉強を頑張ろうという時に生きてくるのです。塾に行っても成績が伸びない子は、塾に行くための準備ができていない。それは遊びの絶対量の不足から来る側面もあるかと思います。

7、完全に公平な条件下での戦い
将棋は、駒の枚数、駒の種類、駒の配置という全ての条件が同じ状態から始まります。この完全な公平性が将棋の特徴であり、そこから勝ちを導き出す戦略や戦術は最高にハイレベルです。しかしスポーツはそうではありません。サッカーに例えて説明します。まず選手の人数は同じですが、選手の個々の力は全く違います。飛車や角行がたくさんいるチームがあれば、歩兵しかいないチームもあります。飛車角行のチームと歩兵のチームが戦えば、結果は歴然です。だからこそサッカーでは選手を育成すること、良い選手をリクルートすることに力を注ぐのです。またJリーグであれば20チームで総当たり戦をホーム&アウェイで実施すると、1シーズンの試合数は19×2=38試合となります。そこで優勝を争う上位グループを20%程度とすると4チームの争いとなり、、3×2=6試合だけが選手の力が拮抗した戦いとなります。この6試合は、残りの32試合とは全く質の違う戦いになります。将棋を指す人が見れば、下位相手の32試合は簡単に見えます。強い選手が弱い選手を攻めれば良い。将棋のプロのレベルであれば、駒の能力に偏りがあれば勝敗は明らかです。将棋の戦場は、上位グループ同士の6試合しかありません。これを常に戦っているのです。プロの棋士はこのギリギリの戦いを全ての対局で実戦しているのです。したがって戦略や戦術という点において、将棋とサッカーのどちらが進んでいるかは明らかです。スポーツ選手が将棋を学ぶことで、優秀な選手ではなく、優勝する選手になれる確率が高まると感じませんか。日本の伝統から導かれた巧みな技を身に付ければ、日本人らしさを生かして海外で活躍できるヒントが見つかるかもしれません。

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